ATOMはテンマ博士の事故で死んでしまった息子として生み出されたロボットであるわけなのですが、ただのロボットというわけではありません。
人口の生命体であるロボットとして生命を受けながらも、ATOMは人間と同じ心を持っている存在として描かれています。
そのために「現実の息子を生き返らせたわけではない」とテンマ博士は自分の作り出したATOMというロボットを捨て去るということに至るのです。
それが人間の作りだした人口生命体でしかないロボットであるATOMの悲劇につながっていくことになるわけなのです。
いわば人間のエゴによって生み出されたロボットの宿命を背負いながらも、それでもなお人間の心を持つ悲しさを持っているのがATOMなのです。
ATOMはいわば人間の心を持っているロボットとして位置付けられていて、その存在は非常にあやふやなものになっています。
またATOMはそのロボットとしての性能が優れているがゆえに、また人間たちの思惑に翻弄されていくことになっていくのです。
いうなればATOMというロボットは最初から人間に運命をもてあそばれていくことを義務付けられている哀れな存在でもあるわけです。
ロボットには人間に対しての三原則がある、とSFの世界では定められているのですが、それを剃って作られているからこそ悲劇性を帯びているのがATOMなのです。
ATOMはロボットであり、永遠の少年として生きる定めにあり、成長していくことが出来ないがゆえに異形のものになっていきます。
いうなればこの「ATOM」という映画は、現代が秘めている歪んだ親子関係を浮き彫りにしている面もあるのです。
異形の息子であり、自分の作りだした作品であるロボットでもあるのがATOMであり、テンマ博士は父でありながら、科学者でしかないのです。